どこかの遠い友に 船城稔美詩集
ハンセン病患者として、性的少数者として、一人の人間として、世界の片隅で詩を書き続けた詩人・船城稔美。70篇を精選した詩集。
- 定価
- 1,980円(本体 1,800円)
- 刊行
- 2025/07/24
- ISBN
- 9784760156344
- 判型
- 四六判
- ページ数
- 264
- ジャンル
- 文学・エッセイ・ノンフィクション

内容・目次
内容
私の顔はたつた一つだ
君の顔もたつた一つ
だが 同じ希い
同じ怒りに身をふるわす
(「どこかの遠い友に」より)
全国8つのハンセン病療養所入所者73名による合同詩集『いのちの芽』(1953年)が70年ぶりに復刊され、岩波文庫に入ったことで話題を呼んだのは、2024年夏のことだった。そこには、船城稔美(1923-2003年)の詩も5篇収められている。
船城は15歳で入所してすぐ、大人たちにまじって園内誌に詩を書き始めた。79歳で亡くなる前年まで、書き続けた。生前、その詩が世間的な注目を集めることはほとんどなかった。
2023年、国立ハンセン病資料館企画展「ハンセン病文学の新生面――『いのちの芽』の詩人たち』が開催され、船城にかんする重要な(永らく見落とされてきた)事実が指摘された。それは船城が、性的マイノリティだったのではないか、というものだった。
僕は
自分の座席を
さがすのだが
決してみつかつた
ためしがない
仕方がないので
どこにでも おずおず
すわるのだが
すわりごごちが
よかつたことはないのです
(「棘のある風景」より)
ハンセン病患者というマイノリティ集団の中を、性的少数者として生きた詩人。男女二元論や異性愛規範にとらわれない詩を書き、自らの生/性を諦めず、世界とのつながりを、愛と連帯の可能性を、最後まで見失わなかった詩人。
「隔離」という差別的な環境により埋もれ、戦後詩史にその名を刻まれることのなかったその才能に今、はじめてスポットライトが当たろうとしている。
私は 下を向いて
歩くことに
あきあきした
(略)
私は昂然と
頭を上げよう
そして
時雨の冷たさを
額で受けよう。
(「対決」より)
本書は、現在確認されている286編に及ぶ作品群から70編を精選した、初めて公刊される作品集である。世界の片隅でつむがれた言葉を、今を生きるあなたにつなぎたい。
■編者・木村哲也「解説」より
“本書に収録した詩作品は、ハンセン病療養所に隔離された経験がない私にも、そしてどのような性的指向をもつ者であろうと、秩序への違和感を自覚して生きているだれもが共感しうる普遍性をあわせもっている。性の越境者として生き抜いた船城の作品は、時代を超えて読み手を鼓舞するだろう。”
【著者略歴】
船城稔美〈ふなき・としみ〉
一九二三年、栃木県の農家に生まれる。一九三八年、全生病院(現・多磨全生園)に入所。一九五〇年、詩誌『灯泥』創刊に加わる。一九五三年、大江満雄編『詩集 いのちの芽』に参加。全生歌舞伎の女形としても知られた。詩歴は長く、入所した年より亡くなる前年まで園内誌に作品を発表しつづけた。二〇〇三年一月没。
【編者略歴】
木村哲也〈きむら・てつや〉
国立ハンセン病資料館学芸員。二〇二三年国立ハンセン病資料館企画展「ハンセン病文学の新生面――『いのちの芽』の詩人たち』担当。大江満雄編『詩集 いのちの芽』(岩波文庫)の解説を執筆。著書に『駐在保健婦の時代』(医学書院)、『来者の群像』(編集室水平線)、『「忘れられた日本人」の舞台を旅する』(河出文庫)、編著に『大江満雄セレクション』(書肆侃侃房)がある。
目次
想ひ
別れた人
雪の夜
五月
ウイツチが私を迎ひにくる
夜
別れの詩
子供たち
幻想雛祭り
女
冬の夜
夜の哀愁
無精卵
棘のある風景
堆積
六月に
陥穽
対決
私の祖国は蜂の巣のように
死への讃歌
混血児たちよ
反抗
パンパン、ニツポン
スタート――ライ予防法反対陳情団に加わつて
或る書翰
植民地の詩(うた)
三月
消失の日々
嵐への断章
梅雨空に詩う
盲導鈴
人間誕生
交媒
花のアラベスク
一日の終りに
希求
乾燥期
なげき
破倫
教会堂にて
ゆきずりの人に
五月の空に
棘のある風景
どこかの遠い友に
たそがれ
ある風景
座り込みの日に
七月の詩
不毛
埋没(またはカメラの世界)
炎が消える
炎
舞台
刻が駆けてゆく
盆踊り
休校
やさしい時間(とき)
廃駅
心のこりの詩(うた)
裸木
蛇棲む日々
捜しあぐねて
まよい
足音
部屋ふたつ
あんちゃん
予感
一九三八年
遠い日に
去りゆくもの
解説 木村哲也
初出一覧