アテネ・オリンピックは8月13日から開催される。翌14日は早くも女子柔道48キロ級の決勝戦である。つまり、4大会連続出場の谷(旧姓:田村)亮子選手の金メダルを賭けた試合である。59年前、玉音放送された終戦詔書の日付も「8月14日」である。この日「日の丸」が掲揚され「君が代」が演奏されるかどうか、期待している人も少なくないだろう。その翌日、8月15日はソフトボール予選、日本VS台湾である。もし、対戦相手が当日「光復節」(解放記念の祝日)を祝う韓国や北朝鮮だったなら、と考えて胸をなでおろす関係者も少なくあるまい。ちなみに台湾の「光復節」は、最後の台湾総督・安藤利吉と中華民国台湾省長官・陳儀との間で降伏文書が調印された10月25日である。
さらに8月7日からは甲子園では朝日新聞社の伝統的メディア・イベント、第86回全国高等学校野球選手権大会が開催される。さすがに朝日新聞社は紙面の構成上からか甲子園大会の開会式を「原爆記念日」から一日ずらしたが、国際オリンピック委員会は(あたり前だが)日本の「終戦記念日」にはお構いなく大会スケジュールを組んだわけである。
オリンピックや高校野球に熱い感動を求めることを、私は「半ズボン」とともに卒業したので、そのお祭り報道には興味がない。しかし、そのスポーツ番組が「終戦記念日」をどう変えるか、そこに大きな関心を寄せている。今年の「8月ジャーナリズム」には、何か異変が起こりそうな予感である。
周知のことだろうが、「8月ジャーナリズム」とは8月6日原爆記念日から8月15日終戦記念日までを中心に日本のマス・メディアが毎年集中的に行う戦争回顧報道である。ちょうど一年前に刊行した拙編著『戦後世論のメディア社会学』(柏書房2003年)は「輿論と世論」の使い分けを提唱して、『史学雑誌―回顧と展望』でも高く評価していただいた。その中で私は「お盆ラジオと玉音放送」を論じている。まだお読みでない方、オリンピックの開会式をだらだらと眺める時間があるなら、この論文を是非お読みください。損はさせませんから。以下を読んで、興味をもったら、すぐ大型書店や大学生協書籍部に行くか、amazon
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私は「8月15日の神話」を解体したいのである。そして、終戦記念日を変えたいのである。現在の8月15日は、残念ながら追悼と祈念の静寂につつまれてはいない。むしろ、政治日程では靖国神社参拝問題をめぐり「記憶の内戦」と「歴史認識の外交」が熾烈を極める瞬間である。そもそも、8月15日「終戦記念日」の歴史は極めて新しい。確かに、ポツダム宣言受諾を伝える玉音が放送されたのは8月15日である。だが、連合国へ送信された受諾「文書」も、昭和天皇が読み上げた「詔書」もその日付は8月14日である。そのラジオ放送を全国民が聴いたという共通体験がどれほど重要であっても、8月15日に終戦の法的な根拠はない。そもそも、戦争は主権国家相互の闘争であり、交戦当事国の一方が自国民に向けた宣言が戦争の終結を意味するはずはない。
アメリカなど連合国の多くはミズーリ艦上の降伏文書調印式の9月2日、旧ソ連は北方領土占領の9月3日を対日戦勝記念日としてきた。日本でもGHQ占領下の新聞報道を見る限り、8月15日終戦記念日よりも9月2日降伏記念日の扱いがはるかに大きかった。9月2日を今日、我々は忘却しているが、当時の意識はちがっていた。『主婦之友』1945年9・10月号に掲載された石川武美・同社社長の言葉を引用しておこう。
「昭和二十年九月二日の降伏調印の日を、われわれは二十年三十年後においても感謝の日とせねばならぬ。それをなし得ぬなら日本民族の真の屈辱であり、滅びである。」
戦後の歴史は「それをなし得ぬ」経過をたどった。9月2日を忘れさせたのは、8月15日の終戦特集である。今日のような8・15終戦企画が新聞紙面で確立するのは、終戦十周年の1955年のことである。さらに8・15終戦記念日の法的根拠はその8年後、終戦から18年も経った1963年5月14日閣議決定された「全国戦没者追悼式実施要項」であり、さらに1982年4月13日閣議決定された「戦没者を追悼し平和を祈念する日」制定を待たなければならなかった。
もっとも、終戦記念日が国民統合のために新たな「伝統の創出」であった、という通俗的な国民国家論を私は繰り返したいわけではない。むしろ逆である。
8月15日のラジオ放送の歴史を放送開始の1925年まで遡って検討すると、意外な事実がわかる。すなわち、玉音放送を起点とする新しい終戦記念日には、さらに伝統的な古層があったのである。お盆番組変遷から判ることは、現在の8・15戦没者慰霊行事は1945年の玉音放送を越えて、日中戦争の新霊供養として1939年8月15日に始まる戦没英霊盂蘭盆会法要全国中継、さらには満州事変後の1933年8月15日盂蘭盆会法要中継にまで掘り進むことができる。
そもそも伝統的に旧暦7月15日に行なわれてきたお盆行事は、明治新政府による改暦により東京中心の新暦7月15日と、地方の月遅れ盆8月15日に大きく分裂した。政府主導のラジオ放送のお盆番組はもちろん、新暦の7月でスタートした。こうした新暦お盆主導のラジオで、8月のお盆番組が浮上する契機となったのは満州事変、日中戦争の戦没者に対する戦没英霊盂蘭盆会法要である。実は玉音放送が行なわれた8月15日にも、中止となったものの、午前7時京都から戦没英霊追悼盂蘭盆会法要中継が予定されていた。もちろん、GHQ占領下のラジオでは8月15日の盂蘭盆会中継は自粛され一度も放送されていない。
8月15日の盂蘭盆会法要中継は1954年に復活するが、毎年恒例となるのは1963年、すなわち政府が第一回全国戦没者追悼式を主催した年である。こうした戦前―戦後を通じたお盆ラジオの編成からは、政治体制の断絶性とは別に民俗的心情の連続性が浮き上がってくる。8月に戦争責任問題を論じることの困難は、ここに起因すると言えよう。
結論として、現在の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を分割して、「戦没者を追悼する」前半をお盆の8月15日、「平和を祈念する」後半を降伏の9月2日に移動するべきだ、と私は提言する。戦争の記憶を公開の場で再審するためにも、ひとまずは慰霊問題と戦争責任問題を切り離す必要性があろう。「8月15日の追悼」はお盆に、「9月2日の議論」は新学期にふさわしい。こうした記念日の構築主義に対して、特定の体験、つまり玉音放送を神話化すること、さらにその記念日への政治的な強迫観念は、過去への関心ではなく、むしろその喪失の不安に由来しているのである。(了)
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